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秩父宮杯の復活と秩父宮妃杯の下賜
第1回大会に秩父宮殿下より下賜された優勝杯は戦争中に供出し失われていたが、平成 7年(1995年)6月秩父宮妃殿下より賜杯復活のお許しがあった。また同時に女子部 に対して秩父宮妃杯を下賜された。この経緯は由来に記されている。秩父宮殿下がスキー のよき理解者であった事はよく知られているが、妃殿下におかれてもスキーに並々ならぬ 関心を持たれていた事は記憶されるべきであろう。妃殿下は、ご著書「銀のボンボニエー ル」の中で、新婚間もないころ雪が降ると築山で殿下とスキーの練習をされたことや、後 年志賀高原のスキー行を懐かしく回顧されているが、最後に、「今でもやりたいと思うの はスキーです」とはっきりお書きになっている。

底辺向上の新しい動き
一般学生であっても、スキー競技者としてやって行こうとする以上はそれ相応の自覚が 求められる。男子3部4部、女子2部の多くの選手は大学に入るまではアルペンかまたは 基礎スキーしかやっていない。それがインターカレッジで学校対抗で戦う以上はクロスカ ントリーもジャンプもやる事になる。加盟した当初の水準が低い原因はここにある。しか し、30年前力不足と言われ、20年前お粗末なジャンプと言われた学校が今は全種目に エントリーし活躍している。少数ではあるが、一般学生として入学し、4年後に日本のト ップクラスまで上りつめた選手もいる。また一般学生としてスキーを始めながら、強豪大 学に伍して、十数年一部に留まり続けている学習院大学女子部の例もある。まじめに取り 組むならば、相当の向上の潜在力は期待できるのである。

しかしそういった大学の抱える一番の問題は適切な指導が得にくいことであった。そこ で、学連競技部では下位のスキー部のトレーニングを自助努力に任せ、結果のみを批判す るということをやめ、自ら指導に乗り出す事になった。トップクラス選手の指導とともに 競技初心者の指導を行う事は大変な負担であるが、これなくしては学連の将来はないと考 えたからである。 平成7年(1995年)よりジャンプ部門はサマージャンプで初心者講 習会を開始した。

平成9年(1997年)からはクロスカントリー部門がステップアップレースを開始する と同時に、初心者講習会を始めることになった。更にアルペン部門も従来からのステップ アップレースだけではなくステップアップpart2を設け、さらに技術戦の始めにバッ ジテストを行いアルペンの基礎技術の向上をうながすことになった。ステップアップのみ ならず講習会の開催と、競技部の底辺拡大のための努力は並々ならないものがある。

学生スキー連盟の活力
FISの採用するポイント制やその他のルール改定は個人選手の競争を指向するものに対し、 インターカレッジは最終的に学校対抗戦であることに特長がある。 選手は母校の名誉をかけて争い、個人プレーよりも学校の勝利が優先される。ひとたび母校 のために戦った選手達は太い絆で結ばれ卒業後OB会というファミリーを作り母校のスキー 部のために物心両面から援助を行う。これ唯一つ母校のスキー部の勝利のためである。 母校の勝利を現役学生とOBがともに手を取り合って喜ぶ風景はインターカレッジ特有のも のである。OBが卒業後も母校のスキー部に関心を持ち続けるのも学校間競争があるからで ある。これは決して一部に属する学校に限られたことではない。さまざまなレベルで対抗戦 が行われている。どの大学に負けてもよい、しかしあの大学だけには負けるな、という言葉 があちこちの大学で囁かれる。多くの大学スキー部にとってはそれらが目標となっているか も知れない。それが、競技スキーを離れた人々も情熱と関心を持ちつづける原動力となって いるのである。 日本の競技スキーの向上はひとえに学校対抗という土壌から生み出された ものであると言っても過言ではない。そこに注がれる熱意とエネルギーが、結果として多く の有力選手を育てる事になった。少なくとも個人競技者の争いだけということになったら、 これだけの情熱が注がれるということはなかったであろうし、一部の世界的なスキーヤーを 除いては人々の関心は大きく失われていたであろう。 この健全な対抗意識が70年を通じてインターカレッジの活力の源であったし、これから もそうであろう。

この稿は堀浩氏(早稲田大学OB)に負うところが多い。記して感謝したい。

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